アニメのこと
アニメのたまらなく好きなところは、その瞬間たちはみんな、ひとが描いたものだ というところ。
たとえば、たまこまーけっと2話のBパート(CM明けすぐ)、教室でみどりちゃんがたまこに髪を触られるシーン、
そのときたまこが出すのは右手で、視聴者からはみどりちゃんの顔が下半分隠されて見えるので、「髪に触られた」みどりちゃんの瞳があきらかにキラッとして震えるのがわかる。
その一瞬で視聴者はみどりちゃんのきもちを知ることができる(とわたしは思っているけど、インターネットでは知恵袋なんかで堂々と百合全否定してるひともいるのでひとのきもちを推し量るというのはむつかしいね)、
そのときわたしはみどりちゃん…!!そうだったんだね…!!!!と確信するのと同時に、それをそういうふうに見えるように考えたひとがいる、その数秒間、ひいてはアニメそのものの最初から最後までのそのキャラクターたちの時間をぜんぶ、描いたひとがいるってことについて、感謝に似たきもちをかんじる。
お芝居やなんかは、役者がひとりひとり自分なりに考えつつ、いい具合に演出されながらやるわけで、だから、ひとりひとりの役がちゃんとなにか考えた結果、発言や行動をしたっていうように見えるのは、そりゃ役者だものそう見えないとっていう気がするのだが、
アニメは、そのキャラクターがあたかもじぶんで考えてるみたいなふうに少しの動作や息づかいや瞳のきらめきをぜんぶ他人が描いてるってところが、ほんとうにすごいなっておもう。
ああ、でも、描いてるか演じてるかの違いだけで、考えてることは一緒なのかもしれないなっていま、書きながらひとつ結論が出ちゃったな?
つまりわたしはアニメもお芝居も好きだけど、その根底にあるのは、人間が、じぶんじゃない人間(キャラクターや役)の状況に想いを馳せて、その感情を表現しようとしてることに感銘を受けているのかもしれない。
ひとが、じぶんとぜんぜん異なるひとのきもちを考えるということは、とても尊いことだなって、わたしはたぶんおもっています
(おやすみなさい)
音楽との関係のこと(と雑談力のこと)
クラブに行くこと の記事を書いてから、なんとなく立て続けにクラブにいくようになっていて、
きょうは仲間たちからパイセンと呼ばれている友人の、めちゃくちゃレスポンスの良い、打てば響きまくるしっかりした信頼できるサラリーマンでありながらとつぜんこういうtweetをする(でもインターネットではこの発言はわりとふつう?のこと?に?思えるね???)開催するイベントに遊びにいってきた。
そこでゆうこちゃんという女性とお喋りしたのが、なんかおもしろいことかもしれない気がしたので書き残します。
ゆうこちゃんは、前回ほかのイベント時にともだちの紹介で一言挨拶したくらいの知人度合い。
今回のイベントは女性客が3人で、
パイセンのDJにぶち上がり過ぎて服を脱ぎオッパイまるだしで女子を口説きまくる会場ビルの外国人オーナーさん&ゆうこちゃん&わたしという状況だったので、自然と、脱いでない知り合いのふたりでお喋りする時間がうまれた。
はじめて知り合ったのも、今回の再会も、音楽がメインとされるDJイベントでのことだったので、
よく知らない人と雑談する力が微弱で、人間とふたりきり沈黙したままじっとしているのもべつに苦ではないタイプだがしかしこの場合は喋った方がよさそうだ とはいえ雑談力はほぼない…という状況で話すことは一つ、
音楽好きなんですか〜?
自分で言いながら、あ〜なるほど〜〜これぞ雑談だしもしかしてわたし雑談の才能なきにしもあらず〜っておもったのはさておき、
ゆうこちゃんはUKなどのジャンルが好きで、ダンスロックなバンド活動をしていたこともありクラブミュージックはそんなに聞いてこなかったけどこういうのもいいですねというようなことをお話してくれた。
書きながらおもったけど、バンドやってたのなら楽器は何を担当してたとかボーカルとかだったのかとかいくらでも広げようがあったのにそこまでの情報しか拾えなかったのでやっぱりわたしに雑談力はほぼない、慢心は敵である。
雑談なので、ゆうこちゃんはわたしにも音楽好きなんですかって聞き返してくれた。
それでわたしがお答えしたのは、
わりとNoミュージックでも生きていられる気がするけど(ちなみにわたしのイメージは移動時間に音楽をきいてる人はNoミュージックNoライフ)、ともだちのDJ聞きにこういうとこへはたまに繰り出す、
高校の時はaikoとかをきいてて失恋した友人に選曲済みのMDを贈るタイプの人間で、その他には部活でダンスっぽいことをしていて先輩たちが選曲したケミカルブラザーズやクラフトワークやプロディジーを練習用BGM・本番曲として知らぬ間にヘビロテしていたのでそういう音楽はわりと好き、
クラブに初めてつれてこられたときにそういう曲がかかってたのでワー好き!みたいな単純な印象で、
ともだちもどんどんできたし楽しくて来るようにはなったけど結局音楽についての知識はほとんどありません
実際は上記の半分くらいの情報しかお話していないけれどもだいたいこんなかんじのことだった。
つまりなにが言いたいかというと、
Noミュージックでも大丈夫かもと思っているわたしでさえ、ミュージックとの関係は300字越えるくらいになるので、
いまDJをガンガンにやってるみんなたちは、そういえば一体どうしてそうなったのかなと
また、DJをしないまでも音楽が好きで引き込もってずっと聴いてるひとや、クラブにバシバシ通ってるパーティーピーポーや、カラオケでモリモリ歌うシンガーや
逆にまったく興味がないひとは
なぜ そうなったの
もはや音楽じゃなくてもみんなが好きなものや好きじゃないものを
好きや好きじゃなくなった理由ってなんなの
わたしはどうしてそれを知りたいんだろう
それはまた別の話だ
(またお会いしましょう)
わたしの基盤みたいなともだちのこと
人生のなかで分岐点はたぶんいつもだけど、なかでもわたしは2人の女の子がいなかったらいまここにいないなっておもっている。
きょうはそういうタイプのエモくて長い話をします。
1人はTwitterでもよく言っている、営業会社の偉い人に負けて場所を選ばず号泣できて常に目が泳いでメンヘラになるかとおもった時期のわたしを生まれて初めてクラブに連れて行ってくれたみやあることみとちゃん、
夜遊びと泥酔と、おとなとタメ口で遊ぶことを教えてくれた。
自分で言うのも憚らないほど絵に描いたような優等生だったわたしに、それらを教えてしまったことを彼女は後悔してるみたいなふうにすることがあるけど、そうやってできたともだちがいまわたしがいちばんだいすきなみんなたちだからわたしは本当にありがとうとおもっていて、愛だよ!
愛!!!
余談ですがみとちゃんと初めて会ったとき、わたしの当時の彼氏の元演劇部仲間だったみとちゃんが上京したてのころにそのひととふたりで井の頭公園のボートに乗ったとかおそろいのバッグを買ったっていう内容のプリクラが、みとちゃんと出会う前に、彼の部屋から検出されていて、だからわたしはみとちゃんに初めて会ったとき(立ち上げた劇団のお芝居のスタッフをしてくれるというので初めて顔を合わせたのだった)なんとなくとても緊張してとりあえず天気の話をしながら(なぜか)ふたりきりで学校にほど近い一風堂でラーメンをたべた、その日は曇りだったのをよく覚えているよ。
さて、そもそもそうやってみとちゃんに出会うきっかけとなったのは、わたしが演劇に興味をもち、そういったコミュニティに身を置いていたからだけど、わたしはだれにも習わずにお芝居を知ったのじゃなかった。
ここでもう1人の女の子、Sちゃんの登場です。
彼女と出会ったのは小学3年生だったかな、クラスが一緒で、具体的にどうして仲良くなったかは覚えていない、ただ、いま思えば鼻筋の通った色白の美人がわたしは昔から好きだったのだ、そういう女の子だった、目は奥二重か一重か、スッとした切れ長の美人だった。
親友と呼ぶのはこういうひとだというかんじに仲が良かった、ポケットビスケッツが好きだった彼女に紹介されて買ったColorfulが人生で初めて買ったCDで、ポケビ解散をかけた署名運動には2人で参加しよう!!って誘われて一緒に何枚かの署名を集めて千秋が好きと言っていたドラえもんの便箋の手紙をつけて送ったし、
遊ぶときはノートにマンガをかいて見せ合ったりしていた。
4年生でクラブ活動がはじまるとき、マンガ・イラストクラブに入ろうか悩んでいたわたしに演劇クラブに入ろうよと声をかけてくれたのが彼女だった。
それで演劇クラブに入って初めて全校生徒の前でしたお芝居が、耳の遠いおばあちゃん役だった、おばけだぞ〜っておどかしてくるおばけの主人公にむかって、はあ?おはぎ〜?と聞き返すセリフだった。
4年生であだ名が おばあちゃん になって、だけどわたしはそのときのじぶんのお芝居がみんなにちゃんと覚えていてもらえたことがうれしかったのだった。
自意識と自己顕示欲の目覚めだった。
Sちゃんはわたしに演劇を教えてくれただけじゃなくて、もっとすごい影響を与えていった、同じクラブに入ってポケビの署名活動もしたわたしを、ある日真似っこすぎるときらいになって、クラスのみんなと無視することを決めたのだった。
とつぜんきらいになったわけじゃなく、みんなが気に食わないことがいくつも溜まっていった結果だとわかってる、
あとから反省した結果によると、わたしは本人から勧誘された以外のものでSちゃんの持っているレターセットや文房具の真似っこもしたし、成績が良いほうだと自覚していたから鼻につくような言動はめちゃくちゃたくさんあったことだろうとおもう。
無視されはじめてからどれくらいだったかはわからないけど、子供の時間ではわりと長くかんじるその間、上記のことに思い至り、それを改善したことをみんなにわかってもらうまで、改善した様子で居続けないといけないと考えて、こども心に、いちど失った信頼をとりもどすのはたいへんなことだなぁと実感したのだった。
それはとてもショックな体験だったから、二度と同じことになりたくなくて、1人だけの親友をつくるのをやめて、心を許してくれたように見えてもちゃんと距離をとって鑑賞物みたいに接するのが良いって決めて10歳から暮らすことになった、
17年間そうやってきてまぁだいたい間違っていない人付き合いだったとおもっている、このためにすこし男っぽいと言われることがあるのかもしれないともおもう。
成人したあと、当時の友人数人で飲酒したとき、わたしあなたにきらわれていた時期があったねって笑い話みたいなつもりで言ってみたことがあるけど、そんなことあったっけマジごめん〜って返されていやむしろごめん〜って言いながら心のなかではなるほど〜っておもってたし、そんなことがなかったらわたしはのびのびといま以上これ以上いけすかないやつになっていたであろう、ありがとうSちゃん。
つまりいまわたしがだいすきなみんなたちといま出会えて一緒にいられるのはこんな子たちとこんなことがあったからでわたしは人知れずたまにそれを思い出してエモくなっているよという報告を
みとちゃんが主催したイベントで久しぶりに汗だくになるまで踊りながら書きました
(おやすみなさい)
クラブに行くこと
わたしがクラブに行っていたのは、仕事のことを忘れたかったからだった。
人がたくさんいて暗がりで音楽が大音量で鳴ってて光がビカビカしててお酒を飲むと楽しくなって知らない人とどんどんともだちになって目を閉じて頭を振れば音がきもちよくて記憶もお金もなくなって、こうしてつかってなくすために稼いでるから我慢しようっておもっていた。
特別好きなアーティストのイベント目当てではないから、そんなに大きなとこへは行ったことがない。
当時は、職場はもちろん自宅も、がんばれつらい人はたくさんいるって励まされるから、どこにもいたくなかった、遅れてきた思春期の家出のようなことだった。
そんなだったから、クラブに行かない側かつ、生きるのがつらくない側のひとたちがなにを動機に行くようになるのか考えると簡単なようでいてむつかしい。
グレてないひとたちが繰り返し通うようになるには
かかる曲やDJがいいっていうのが一番なのかもしれないけど、わたしは教養がないし、そもそもmixやDJが好きな人はすでに好きなアーティストのイベントなどで遊びに行っているだろうのでここでは置いておこう。
そうするとやっぱりひとかなぁ、
わたしはね、能動的に約束しなくても自動的にともだちに会える場所だから好きだ、
会えるからにはお喋りもしたい、でも能動的に会わないだけあってそんなに真剣に話し込んでいたいわけでもない、無責任に聞きたいことだけ聞いて喋りたいことだけ喋れてあとは音楽をきいてゆれていればなんとなくいいきもち、そういうものかなと思う。
つまりてきとうな性格の人間が集まるのに向いているような気がしている。
そもそもがopenの時間に入らなくてもclose前に帰っても自由なんだからそりゃてきとうだよなァ、行けたら行くだよなァ。
とかいってみたものの、人間は多種多様なのでちゃんと都合をつけて行くみなさんも存在するのを知っている。責任感やおもいやりのあるあたたかい会話だってあるとこにはある。
それぞれが合う水と流れをみつけて泳いだらしあわせとおもう。
最近は本当に仕事がべつにぜんぜんいやじゃないので泥酔する必要も家に帰らない意味もなくなって、使えるお金も以前ほどないし、自粛気味だけど、
だからようやく少し、音楽を聞くことや冷静にVJを見ることに楽しさが向いてきて、それはそれでおもしろい、というかこれがまっとうな楽しみかたなのかも、ともおもっています。
泥酔する方の楽しみかたも好きだったから、その気が起きなくなったのはさみしくもあるけど。
音楽を積極的にきかないひとでもフワ〜っと知り合いに会いに行くみたいな気分でいってみたらなんか自分はこういう曲好きかも!音楽たのしい!ってなったらハッピーなお話だし、そうならなくてもお酒を飲んでお喋りしたら楽しいんじゃない?
それにはやっぱりくつろげるソファがある場所っていいよね?
っておもうよわたしは
(おやすみなさい)
(12月12日(土)16:00-22:00 渋谷のくつろげるソファがあるクラブで、会えたら会いましょう)
DISCO NOIR ※リンク先は過去のもの