インターネットの思い出のこと

インターネットと出会ったのは小学6年生のときのクラブ活動だったと思う。

3年生から演劇クラブで、耳のとおいおばあちゃん役として華々しくデビューした舞台を、6年生で降りようと決めたのは、
学校に入ったばっかりの新品のパソコンを使えるカッコイイワタシ に憧れたのと、入部当初はこじんまりと数名だったクラブ員が、なぜかぐんと増え、どちらかといえば先輩風を吹かせるよりも先輩について行きたいタイプだったわたしにとって、先輩のいなくなった大所帯に残るのは得策でないようにおもわれたからだった。


そうして入ったパソコンクラブで、なんのパソコン知識もないのに6年生だから副部長かなにかになった。

そのクラブでの活動内容は、実はほとんど覚えていない。
手始めにマインスイーパとかのゲームを習って、あれはクリックの練習だったのか、みんなで(個人で)興じたような気がする。
あとはペイントで、マウスを使って絵をかいたり一太郎で年賀状をつくったりしたかもしれない。
簡単な自己紹介のホームページもつくったような気がする。そのおかげで中学の「情報」の授業で同じようなことをやったとき、ちょっとよゆうな顔をしてやれたものだ、たぶん。

「情報」の授業っていまもあるんだろうか、あるとすれば「インターネットリテラシー」とかの単元があるにちがいない。
当時教わった注意事項は、インターネットに個人情報(氏名や顔写真)を載せると、必ず悪用されて社会的にしぬ みたいなことだった。そんな言い方じゃなかったかもしれないけれども、そのくらいのインパクトだった。
幼いわたしは、きっとエッチな裸の写真と合成されてもう二度と外を歩けなくなるんだわ、と本気で思っていた。
当時のわたしにFacebookInstagramを教えてあげたら、気が狂ってると思うに違いない。進歩した未来の技術でより自然に合成されてしまう。


そんなこんなでパソコンと雑に触れ合い、いつの頃かにチャットを覚えた。中学生くらいかと思う。
その頃はまた演劇部に入って少人数で和気藹々とやっていた。部員は全員女子だった。わたしはメガネでデブで、校則を厳密に守ったスカート丈だった、学年で厳しいと評判の先生に気に入られて、お墓の場所を教えるから将来お参りにきてねと言われた(現在もお元気で、年賀状だけはやりとりしている)。
チャットでは顔も名前もぜんぜん知らない人と話した、年齢と性別を偽りなく言うと、年上の男性(16とか23とか36とか様々だった)と思われるアカウントが寄ってきて、シークレットモードみたいなもので話しかけてきたりした。純粋無垢なデブスだったけど、意味がわからないほどバカではなかったから、現実ではぜったいにない、異性とのヒソヒソ話の雰囲気を楽しんでいた。相手のかたには御愁傷様である。
その頃は、インターネットで知り合った人と現実で会おうものなら、もれなく犯されて惨殺される という意識を持っていたので、その場は親しそうに話しても、それだけだった。H.N.も、本名からほど遠いものを適宜つけた。思い込みが激しいタイプでよかったとおもう 。

同じ頃に、当時大好きだったゲーム、アトリエシリーズの公式ウェブサイト「ざーるぶるぐどっとこむ」の公式掲示板では固定の名前でちょくちょく書き込みをして、何人かと仲良くなった。
ゲームの絵をかく個人サイトをやっている女の子と交流を深め、その子のサイトのお絵かき掲示板(オエビとか呼んでいた、なつかしいね。)によく描きにいった。wacomの白くて小さいペンタブもこの頃に買った。もう15年ほど経つ、あの時の顔も本名も知らないみんなたち、元気でいるのかしら。相手のハンドルネームももう覚えていない。

知らない人だけじゃなく、高校のともだちも自分のサイト(当時はホームページって呼んでいた)を開いたりして、その内容がまた、詩 とかで、もちろんわたしも掲示板に詩を書き残したり、ともだちの詩をポエミィな表現でほめたりした。ともだちは女子テニス部と剣道部だった。

当時が一番絵も字もかいた。

2年か3年、そんなことをした。
高校生になって、部活にのめりこんで、たまに馴染みの掲示板に行っても知っている人もまばらになって、それでそれまでのネット活動はやめてしまった。

代わりに、mixiが流行ったから、知ってる人にむかって日記をはじめ、詩や戯曲のまねごとをやってみせた。
日記よりも、そういう創作の方が、書く意味があるとおもっていた、日記はべつにひとに読ませなくても、紙に書けばいい気がしていた、いまもどちらかというとそうおもうのに、こういう長い日記みたいなものを、、だれかにむかって書いている、不思議だ。


2009年、twitterをはじめた。
ネットアイドルという言葉も知って、ちょうどその頃に、みやあるちゃんとお芝居関係で現実の友だちとして知り合った。
いまも、なのかもしれないけど、当時彼女は相当数のフォロワーがいて、このアカウントがこの人だ と知ったときは、けっこうな衝撃を受けた(彼女も、ネット擦れしていないように見えるわたしがtwitterにいることに衝撃を受けたらしかった)。
オフ会というのが架空の存在じゃないことも、インターネットのひとと現実で会っても必ずしも殺害されないことも、女のふりをした変質者だけじゃなく本物のキレイなお姉さんがいることも、彼女から学んだ。

twitterを始めた頃は、現実の知り合いを排除して活動していたから、それ相応のキャラづくりを目指したけれども、以前の記事で書いたように、みやあるちゃんに人生初のクラブイベントへ連れて行かれたときから、インターネット側のみんなたちと、クラブで知り合ってからtwitterをフォローするという流れになり、現実の知り合いが多い環境になった。
現実で会っていても、インターネット側のひとはインターネット側のひと、という気がしている。
すこしふしぎだけど、古い旧友よりも、オープンな心で付き合っているとおもう。優等生ぶってカッコつけたり、マジメなデブス時代を懐かしまれたりしなくて済むからかもしれない。
相手がわたしに どのタイプのわたし を望んでいるか、を、無意識に察知しようとしてしまうし、察知したら そのタイプのわたし で接してしまうから、
それは自然にやっていることで、べつに苦ではないんだけれども、だから限界があるのかも、
「嫌われないように生きるのって大変だけど、嫌われないように生きてるってバレたら嫌われちゃうよ」って結城蛍も言ってた(『もやしもん』4巻)、
求められるものを出せばある程度は納得されるかもしれないけど、CSのより高みを目指すにはそれだけじゃだめなんだ、顧客が必要だと感じる前に提案していくのがだいじなんだ、そういうことですか〜〜
どういうことですか〜〜


まだすこしインターネットの思い出(初めてのオフ会編)、あるけど、もうだいぶん長いし今回はこのへんで。

(きょうもがんばりましょう)